私は満91歳になりましたが、健康で読書三昧の日々を送っております。今までつつがなく過ごしてこれましたのも、お世話になった皆様のおかげと感謝しております。
さて、イシグログループ(現在のイノチオホールディングス㈱)は、創業者・父 石黒利平が、明治42年に薬局を開設したのが始まりです。そして、私が経営を引き継ぎ、現社長の 長男 功に引き継いで、今のイシグログループへと成長させていただきました。
父 利平は小学校しか出ていませんでしたが、病院勤めをしながら独学で薬剤師の資格を取り、当時の田原病院の薬局主任になりました。利平は病院の務めを果たしながら研究し、タンニン酸、過マンガン酸カリなどの製造に成功しました。その後、満州事変によってアメリカとの関係が悪化して農業用殺虫剤・硫酸ニコチンが不足し、国より依頼された利平は研究に没頭し、クズ煙草から硫酸ニコチンの製造に成功しますが、とても苦労したと聞いています。
この開発に向かった利平の気持ちは「この国に生まれた以上、国家社会のために、隣人や地元農家の恩恵にこたえなければならない」というもので、利平の精神「仕事とは、世のため人のために尽くすこと」そのものでした。
そして、利平からイシグログループを引き継いだ私は、仕事の中心に「どんな仕事も、お客様があればこそ」を肝に銘じ、お客様訪問を何よりも大切にしてきました。私は、お客様訪問を続けているとそのたびに気づくことがあり、少しずつ、お客様の考えや気持ち、望んでおられることを感じられるようになりました。お客様から「俺たちをちゃんと見てるか?俺たちを大切に思ってないんじゃないのか?」という気持ちが伝わってきて、これではいけない、と思いました。これが私のお客様訪問の原点で、仕事の本質だと気づきました。利平の信条「仕事とは、世のため人のために尽くすこと」と、私が大切にしてきた「お客様を大切に思うこと」は、共通する精神だと思っています。
イシグログループが105年前に誕生し、今日まで続いているのは、「世のため人のため、とりわけお客様に尽くしてきた」ことだと、改めて強く感じています。
石黒利平は半世紀前に、家庭の事情で高等学校への進学を断念しなければならない生徒のために「石黒奨学金」制度を作りました。次世代を担う若い人たちへの愛情と期待が奨学金という形に現れたと思います。私もこの精神を受け継ぎ、現在深刻化している農業者の高齢化や後継者不足問題などへの懸念から、次世代の農業経営者の育成のために少しでもお役に立ち、農業の振興と健全な発展に寄与したいと願い、微力ながら小財を役立てていただけたらと財団法人を設立することにしました。
平成26年2月16日
石黒 㓛三